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    薩摩義士顕彰

    千本松原・薩摩義士顕彰碑

     治水神社周辺には、近世から近代にかけて行われた血のにじむような治水の歴史を物語る史跡や顕彰碑がたくさんあります。

     木曽三川の分流工事の起点となった宝暦治水や明治の大改修を今に伝える千本松原をはじめ、薩摩義士の偉業を偲ぶ顕彰碑など見てまわることができます。

     また、「治水神社・千本松原お散歩マップ」も発行されています。マップを片手に歴史の散歩に出かけてみてはいかがでしょうか。

    お散歩マップ(表) お散歩マップ(裏)



    千本松原

     宝暦治水工事の後で、植えられたという日向松の松原が約1km続いています。樹齢約200年の大きな松の大木もあり、望み松など様々な名前が付けられています。

     また、千本松原締切堤は、昭和15年(1940)に国の史跡として指定されています。



    宝暦治水之碑 正碑

     宝暦治水顕彰のために多度の西 田喜兵衛らの尽力により、明治33年(1900)建てられました。表の題字は、時の内閣総理大臣山県有朋。除幕式の日、山県はここに来て、碑面の文章を読み上げました。裏に宝暦治水の犠牲者の名前が刻んであります。幕府側の犠牲者の名前もあります。





    宝暦治水之碑 副碑

     記念碑建設寄付者賛成者姓名碑。山県有朋はじめ、西田喜兵衛までの拠金者、建碑に尽力した人の名前が刻まれています。







    近代治水百年記念碑

     木曽三川の近代大改修百年を記念し「未来につなごうふるさとの川」という願いを込めて、昭和62年(1987)に作られました。宝暦 治水の平田靱負と、明治大改修のデ・レイケのレリーフがあります。






    宝暦治水工事犠歿者碑

     宝暦治水250年を記念して、宝暦治水史蹟保存会が建立したものです。碑には宝暦治水工事で犠牲となった犠歿者の名が刻まれています。






    内藤十左衛門顕彰碑

     宝暦治水工事の際、幕府側の役人でしたが、地元の人が言うことを聞かないため、責任を取って自害しました。







    薩摩義士之像

     鹿児島ライオンズクラブ結成20周年記念に、提携していた羽島ライオンズクラブを通じて建立されました。台石は、桜島の溶岩です。







    菱田尚一胸像

     治水神社の建設委員長の胸像です。伊勢大橋の出入り口は、彼が治水神社の参詣者のためにといって作らせたものです。









    服部辰次郎碑

     大正14年(1925)、大江村(現在の海津町大江地区)収入役の職をなげうって、治水神社建設のために尽力した服部辰次郎の記念碑です。まわりの人が彼の功績を称え、生前にこの碑を建てました。








    伊藤光好胸像

     宝暦治水の語り部として精力的に全国で講演を行い、宝暦治水の名を世に広めました。特に鹿児島の方々にその名は知られ、鹿児島より胸像が贈られました。








    百輪治水宮頌徳句碑

     美濃派俳句結社高洲社中の人々 18人の献句。








    河相達夫歌碑

     「棚雲の 横たふ美濃の国原は 秋の実りに風も立たなく」

     河相達夫は、宝暦治水観音菩薩像の寄贈者になります。








    大野万木句碑

     「秘史哀し 治水神社の 散り松葉」

     大野伴睦は、岐阜県出身の政治家です。新幹線岐阜羽島駅正面広場に夫妻の銅像があります。







    大野徳漢詩碑

     岐阜羽島の漢詩人大野徳三郎の作で、「追懐薩摩義士」です。

     (南面)
    「油島ノ祠頭夕陽麗カナリ 老松影ヲ涵シテ水蒼茫タリ 奉公ノ偉績人千古ナリ 三大川ノ流レ滾々トシテ長シ」
     (北面)
    「忠肝義胆薩藩ノ臣 治水ノ辛労身ヲ顧ミズ 一死極メ来ル君国ノ難 千秋凛々タリ大精神」




    養老新聞社奉納句碑

     「川に凝る 薩摩士魂や 夏の月 旭子」










    油島渡船之跡碑

     昭和58年(1983)、油島大橋開通と共に廃止された多度と油島を結ぶ渡船を偲んで、昭和61年(1986)に建てられたものです。